C.P.COMPANY
C.P.COMPANY ( シーピー カンパニー ) は、1971年イタリアのボローニャでマッシモ・オスティによって創設されたブランドです。創設当時は、Chester Perry ( チェスター・ペリー ) という名称でしたが、1978年にC.P.COMPANYへと名称変更しています。C.P は、Color of Passionの略です。 グラフィックデザイナーであったマッシモ・オスティは、ミリタリーウエアの持つ独自な機能性や素材に注目しました。ミリタリーウエアのアーカイブを収集し、そのディテールを再構築する事で、洋服のデザインを始めます。創設後、ほどなくしてマッシモ・オスティは、 “ アーバン・スポーツウエアを生み出したデザイナー ” として、国際的に評価される革新的なデザイナーとなります。C.P.COMPANY独自の解釈で構築したアイテムは、機能性が非常に高く、実用的でありながらも高いデザインを誇り、イタリアのファッショニスタやアーティスト達の間で評判を呼び、圧倒的支持を得る存在となりました。 また、マッシモ・オスティは、アーカイブの持つ使い込んだ風合い、色褪せたような独特なカラーリングに心酔し、3万点以上のアーカイブを集め研究したと言われています。その、こなれた風合いやカラーリングを再現するため、彼がたどり着いたのが世界初の “ GARMENT DYE ” でした。特に異なる組成を同時に染色し、それぞれの組成に別々の化学的アプローチを働きかける事で、Tone on Toneの印象的なカラーに染め上げる " Double dye in a single bath " という手法は、彼を一躍 「 ファッションを改革した先駆者 」 にし、当時としては他に類のない配色パターンはで多くのファンを獲得しました。 1985年、マッシモ・オスティは、CP MAGAZINEのエディターに就任しました。CP MAGAZINEは、非常に大きいフォーマットのカタログ・マガジンであり、C.P.COMPANYのコレクションの全てのガーメントの写真や、C.P.COMPANYのライフスタイルイメージを完璧にヴィジュアル化したものでした。ひとつのコレクションにつき、40,000部の流通という変わった広告手法は実に効果的であり、多くの同業者があとに続き、業界の中でトレンドにもなりました。 1988年、C.P.COMPANYがスポンサーを務めたイタリアのクラッシクカーレースの祭典 「mille miglia」 ( ミレミリア ) において、フードにゴーグルレンズを配したドライビングウエアを提供しました。ゴーグルレンズは、風雨からドライバーの目を守り、左袖に付けたレンズからは時計を透かして見ることが出来、ラップタイムを容易に確認することが出来ました。さらには、胸と腰部分に2つずつ付けたポケットには地図や水筒、身分証などレースに必要なあらゆるアイテムを携帯することが出来、ドライバー達の大きな支持を得ました。GOGGLE JACKETとC.P.COMPANYは広く知られるキッカケとなったのです。 1991年、C.P.COMPANY STOREが、ニューヨーク・マンハッタンのフラットアイアン・ビルディングにオープンしました。フラットアイアン・ビルディングは1902年に竣工し、現存するニューヨークのビルの中でも古い歴史を持ちます。高さ87mの22階建てで、完成当時はニューヨークで最も高い建築物の一つでした。ビルディングは、三角形の珍しい形で最も細い所では1メートル弱しかありません ( 設計はダニエル・バーナム ) 。建築様式も古く、非常に高い人気を誇ります。この特徴的なビルは、ニューヨークの象徴の一つとなり、1966年に、ニューヨーク市指定歴史建造物に指定、1979年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録、1989年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されました。当時のC.P.COMPANY STOREの内観は、磨き上げられたガードレールが壁に配置されたデザインであり、スチール感のあるハイセンスなショップを作り上げました。 1994年、ファッション、インテリア、デザインの発信地であるイタリア・ミラノのVia Bramante通りに最初のショールームを開設しました。500平方メートル ( 畳300枚と同じ大きさ ) という広大な面積のショールームでした。1978年から始まったミラノコレクションはパリ、ニューヨークに並ぶ3大ファッションコレクションですが、そのファッションの中心地でC.P.COMPANYは新たな歴史を築いていきます。 マッシモ・オスティは、2005年に他界しましたが、彼の遺産はマッシモ・オスティ・アーカイブを通して今日も生きています。ボローニャにあるマッシモ・オ スティ・アーカイブには、5000の製品と50000を超えるファブリックサンプルを含むテキスタイル・アーカイブがあります。 マッシモ・オスティの後継者としては、C.P.COMPANYのチーフデザイナーとして、モレロ・フェラーリやロメオ・ジリなどが参加。コレクションは過去のアーカイブを元に話題性のあるデザインを発表しました。 2015年、イタリアのPitti UomoでC.P.COMPANYの40周年スペシャルイベントが行われました。ミレミリアレースに参加するドライバーの為にデザインされた、C.P.COMPANYのアイコンであるゴーグルジャケットそのものを、スポットライトの下で見せる独創的な演出が話題を呼びました。C.P.COMPANYが歩んできた40年という歴史を回顧するとともに、新たな歴史へ向けての意志を示したイベントとなりました。 2012年11月より、アレッサンドロ・プンゲッティとポール・ハーヴェイが新しいデザインチームとして加入しました。アレッサンドロ・プンゲッティとポール・ハーヴェイは、新素材の開発に全力を注ぐだけでなく、ブランドを近代化することを望みました。限界を打破し、新たなフィロソフィーが生まれた瞬間でもありました。 ポール・ハーヴェイは、類まれなる才能の持ち主であり、創作の真の価値を提供す事の出来る限られたデザイナーの一人です。イギリスに生まれ、ロンドンにあるセントラル・セント・マーチンズを卒業したすぐ後に、彼はファッションが自身のキャリア進路ではないと決め、1年間トラックドライバーとして働きました。しかし、あるイタリア人の女性と出会い結婚し、イタリアに移り住む事によって彼はファッションへの情熱を再び発見し、服をデザインし始めました。 ポール・ハーヴェイが最初にC.P.COMPANYを見たのは1980年です。イタリアに着いたばかりの頃で、ポール・ハーヴェイが働いていた職場の前にC.P.COMPANYを取り扱うショップがあったのです。重厚感のある青いキルティングのコットンジャケットシリーズ ( Royal Navy ) を、今でも印象的に記憶しているそうです。経歴としては、ICI社 ( インペリアル・ケミカル・インダストリー ) を経て、サボタージュ、モンクレールでキャリアを積み重ねてきました。ファッション業界でキャリアを重ねるポール・ハーヴェイにとって、C.P. COMPANYの存在は、とても近しいものでした。Artea社のオーナーであり、C.P. COMPANYのファブリックのほぼすべてを生産していたAdriano Cacciaと、非常に近い関係があったからです。前途の名だたるブランドを経てポール・ハーヴェイは、2012年にアレッサンドロ・プンゲッティと共にC.P. COMPANYでデザインをスタートしました。現在も尚、創作の真の価値を提供し、C.P.COMPANYを牽引し続けています。 C.P.COMPANYのファブリック開発の独自性が現在もなお揺るがない大きな理由は、Fabric Creatorであるステファノ・ポラトの存在なくしては語れません。ステファノ・ポラトは、イタリアのパドヴァに生まれ、インダストリアル・ファッション・スクールを経て、87年にC.P.COMPANYに入社しました。創業者のマッシモ・オスティのもとで研鑽を積み、現在はファブリック開発を統括指揮しています。 マッシモ・オスティから全てを受け継いだステファノ・ポラトにのみ成しえるファブリック製作は、常に私たちの創造を大きく超えていきます。同僚からファブリック博士と呼ばれるC.P.COMPANY のキーパーソンは、飽くなき探求心で常に新素材開発に取り組んでいます。 現在では、これまでのデザインソースであるミリタリーウエアをベースに、時にはスポーツやトラッドの要素を加える事で、マッシモ・オスティが追求してきた男らしさに上品さが備わった現代的なコレクションを展開しています。そして、40年以上の歴史を積み重ねてきた今、武骨さのDNAを残しながらも、常に革新的なアイテムを開発し、さらには最新のテクノロジーを駆使して構築されるアイテムは、高いパフォーマンス性能を発揮すると共に、C.P.COMPANYの提案する機能を完璧なまでに表現しています。究極の機能性と世界最高峰の染色技術で、大人の為のワードローブを展開するC.P.COMPANYは、Breaking the boundariesのミッションを、さらに突き進み進化を遂げています。