REEBOK
1895年 イングランド中部の小都市、ボルトンの健脚自慢が集まったクラブ「ボルトン プリムローズ ハリヤーズ」に所属していたジョセフ・ウイリアム・フォスターは、より速く走るために画期的なアイディアを思い付きます。それは「靴底に釘を打ち付ければ、地面をしっかりと掴んで早く走れるのでは」。というものでした。このアイディアの効果は素晴らしく、今までにないスピードをフォスター青年に与えることとなりました。 1900年 ジョセフ・ウイリアム・フォスターが自作した世界初のスパイクシューズは、地元ランナーの間で評判を呼ぶと、彼のもとには「同じものを作ってくれないか?」という依頼が続々と舞い込むことになります。1900年、ジョセフ・ウイリアム・フォスターは、本格的な事業としてスポーツシューズ製造を行うことを決断します。こうして「ランニングパンプス」と命名されたジョセフ・ウイリアム・フォスターのスパイクは徐々にイギリス中のアスリートの間でその名を知られる事となります。 1924年 フォスター社のランニングパンプスは、世界最高のスポーツの祭典でもその機能性の高さを証明します。1924年に行われたパリ五輪において、同社のシューズを履いたハロルド・エイブラハムスとエリック・リデルが金メダルを獲得します。このストーリーは、1981年に公開されたイギリス映画『炎のランナー』で、紹介されています。 1958年 ジョセフ・ウイリアム・フォスターの孫であるジョセフとジェフリーが会社名をリーボックに変更します。「リーボック」とは、アフリカに棲む足の速いガゼールの一種のことで、アスリートに最高のパフォーマンスを発揮させる事に貢献する同社にピッタリのネーミングでした。この頃には、サッカーなどのランニングカテゴリー以外にも進出しており、同社は徐々に総合スポーツシューズメーカーとして知られるようになります。 1979年 スポーツの見本市でアメリカ人のアウトドア用品ディーラーのポール・ファイヤマンが、リーボックに興味を持ち、アメリカにおける販売権を獲得すると、本格的に同マーケットにおける展開がスタートします。以前にもアメリカ市場でリーボックは販売されていましたが、ポール・ファイヤマンとの出会いが世界最大のスポーツシューズマーケットで飛躍する大きなキッカケとなったのです。 1982年 柔軟で薄手の衣料用天然皮革であるガーメントレザーを使用した、エアロビクスシューズ「フリースタイル」が全米で大ヒットします。足を包み込むような快適な履き心地を確保したこのシューズは、エアロビクス愛好家だけでなく、オフィスワーカーの通勤用シューズとしても人気となり、リーボックがアメリカ市場で躍進することに大きく貢献しました。 1983年 足を包み込むようにフィットし、快適な履き心地を提供するガーメントレザーは、ランニングシューズにも採用されました。それが「クラシックレザー」です。フィット感に優れたアッパー、オンロード、オフロードの両方で高いグリップ性を発揮するアウトソールを組み合わせる事で、ランニングシーン、カジュアルシーンの両方でヒットしました。 1987年 1986年に全米公開された、ジェームズ・キャメロン監督の映画『エイリアン2』において、シガニー・ウィーバー扮するエレン・リプリーが履いていたシューズをリーボックが市販化します。それが「エイリアンスタンパー」です。バスケットボールカテゴリーの「BB6600」をベースにしたこのモデルは、アメリカにおいて、フットロッカーなどで限定販売されたのみであった為、スニーカーマニアと映画ファンの間で激しい争奪戦が繰り広げられました。 1989年 アッパー内部の空気室に適量の空気を注入する事で、シューズと足をピッタリとフィットさせることに成功したバスケットボールシューズの「ザ・ポンプ」が1989年の年末に登場しました。良好なセールスを記録したポンプテクノロジーは、クロストレーニングやエアロビクス、テニスといったバスケットボールカテゴリー以外にも搭載され、スポーツシューズ業界におけるフィッティングテクノロジーの代名詞となりました。 1990年 エアロビクス&フィットネス、テニスといったカテゴリーのシューズと比較すると、その高い機能性を充分にアピールできていなかったリーボックのランニングシューズ。そんな状況を打破すべく登場したのがベンチレーターモデルです。通気性、安定性、クッション性といった機能性にプラスして、インパクトのあるデザインもミックス。それまでのリーボックのランニングシューズと比較すると、その存在感を大きく向上させることに成功しました。 1991年 1991年のNBAオールスタースラムダンクコンテストにおいて、ボストン・セルティックスのディー・ブラウンは、目隠しダンクを始めとした独自性のある試技で観衆を魅了して優勝を飾りましたが、彼はもうひとつのパフォーマンスでも大きなインパクトを残しています。それは、彼が試技の度に履いていた「ポンプオムニゾーンII(現ポンプオムニライト)」をポンピングした事です。この模様は全米に生中継され、その後このモデルは大ヒットしました。 1991年 ポンプテクノロジーは、テニスカテゴリーにも搭載され「ポンプ コートビクトリー」がリリースされます。このフィッティング性に優れた高機能テニスシューズは、マイケル・チャンを魅了し、彼のスピーディーなフットワークをサポートすることに成功しました。マイケル・チャンは、世界各地のトーナメントで優秀な成績を収めることとなります。 1992年 リーボックが大きく飛躍するきっかけとなった「フリースタイル」が登場してから10年。このモデルを始めとした、80年代に登場したベーシックなモデル群は全世界のカジュアルシーンにおいてマストアイテムとなっていました。リーボックは、この頃から強化していたパフォーマンスモデルのために「ベクターロゴ」と呼ばれるニューロゴを発表します。それとほぼ同じタイミングで、ライフスタイルライン(リーボック クラシック)を発表し、スポーツシューズ業界で、いち早くパフォーマンスコレクションとカジュアルコレクションを明確に区分し、カテゴライズしました。 1994年 インスタポンプフューリーをリリースします。インスタポンプとは空気室自体がアッパーの一部となっており、専用のインフレーターで圧縮炭酸ガスを注入して、その名の通り瞬時にカスタムフィットすることが可能なポンプテクノロジーの進化版です。このインスタポンプフューリーが登場するまでは、マイケル・チャンらトップアスリート向けのプロモーション用途の印象が強かったですが、このモデルあたりから一般販売を意識して商品開発をしていきます。インパクトのあるデザインとカラーを組み合わせる事で、ストリートシーンにおいても大ブレークすることとなりました。 1996年 1996年のNBAドラフト全体の1位で指名されたアレン・アイバーソン。早い段階からその運動能力の高さで注目されていましたが、リーボックはこの有望プレーヤーと契約します。彼の為のシグネチャーモデル第一弾は「クエスチョン」と命名され、ルーキーシーズンから素晴らしい成績を収めて新人王に輝くなど、しっかりと結果を出した彼のために、リーボックは、第二弾モデルからモデル名を「アンサー」に変更しました 1997年 ガーメントレザー、ポンプテクノロジーなど、フィッティングに関しては高い評価を得ていましたが、クッショニングに関しては、一般ユーザーにはわかりづらいという声も多くありました。そんなイメージを払拭する事に成功したのが、1997年に発表された「DMX10テクノロジー」で、空気の移動による高レベルでの衝撃吸収と反発のコンビネーションは「履いてすぐに体感できる」と評判になりました。 2014年 発売から20年近く経過しても決して新鮮さを失わなかった「インスタポンプフューリー」。その存在感のあるデザインは、ストリートシーンで高い人気をキープし続けており、数えきれないカラー&マテリアルバリエーションがリリースされていました。そんなインスタポンプフューリーですが、スペックには前期版と後期版があり、それまで復刻されてきたのは後期版のほうで、前期版は一度も復刻されていませんでした。誕生からちょうど20年が経過した2014年に、前期版スペックを採用してデビューカラーが完全復刻されました。 2014年 リーボックのポンプテクノロジーは、1989年の年末に発表されたバスケットボールシューズである「ザ・ポンプ」に初搭載され、2014年に記念すべき25周年を迎えました。アッパー内部の空気室に適量の空気を注入して、足とシューズをカスタムフィットさせるという仕組みは単純明快ですが、その製造には高い技術力が要求されます。