HISTORY OF C.P. COMPANY
16.04.2022


HISTORY OF " C.P. COMPANY "

本NEWSでは、FASHION INNOVATORと称されるMASSIMO OSTI ( マッシモ・オスティ ) が創設した偉大なブランド " C.P. COMPANY " についてのNEWSをアップします。テクニカルウエアのオリジネーターであるC.P. COMPANYの魅力を知って頂きたく作成しています。

■1) 創設者マッシモ・オスティについて

1944年
イタリア・ボローニャで生まれる

1963年
中学を卒業したマッシモ・オスティは学業を放棄してピレリのセールスマンとして働き出す

1967年
商業グラフィックデザインのディプロマを取得

1968年
友人のLucio Festi、Giorgio Sgorbatiと共にボローニャにて広告代理店「CD2」を設立

1969年
友人Lucio Festiとのブランド「CHOMP CHOMP」の為に初のプリントTシャツをデザイン

1970年
チェスターペリーラインのファーストコレクションを製作

※一緒に写っているのはMassimo Ostiの長男のLorenzo Ostiです。現C.P. COMPANYの社長です。

元グラフィックデザイナーであったマッシモ・オスティは、ミリタリーウエアの持つ独自な機能性や素材に着目。ミリタリーウエアのアーカイブを収集し、そのディテールを再構築する事で洋服のデザインを始めます。

C.P. COMPANY独自の解釈で構築したアイテムは、機能性が非常に高く実用的でありながらも高いデザイン性を誇り、ブランド創設後からイタリアのファッショニスタやアーティスト達の間で評判を呼び、圧倒的支持を得る存在となりました。

また、マッシモ・オスティはアーカイブの持つ使い込んだ風合い、色褪せたような独特なカラーリングに心酔し、3万点以上のアーカイブを集め研究したと言われています。ヴィンテージの風合いやカラーリングを再現する為、彼がたどり着いたのが世界初のウエアに対しての " GARMENT DYE " でした。特に異なる組成を同時に染色し、それぞれの組成に別々の化学的アプローチを働きかける事で、Tone on Toneの印象的なカラーに染め上げる " Double dye in a single bath " という手法は、彼を一躍「ファッションを改革した先駆者」にし、当時としては他に類のない配色パターンは多くのファンを獲得する事になりました。

ACRONYMのデザイナーであるエロルゾン ・ヒューは、「IDEAS FROM MASSIMO OSTI」という書籍のインタビューで下記の様に語っています。一部を抜粋してご紹介します。

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■最近は( MASSIMOの ) 影響を感じないわけにはいきません。あなたが新しいと思っているものは実は30数年も前のもので、ボローニャ出身のあなたが聞いたこともないような人 ( MASSIMOを指す ) が発明したものですよ。

■反体制的な傾向には名前が必要ですね。それはとてもリアルで、とても重要な事なんです。私はファッションと呼べるものの近くで育ったわけではありませんが、オスティのアプローチに初めて出会った時とても驚かされました。その背景には、どんな波があったのか想像もつきません。今ではすっかり定着していますが、日本のアヴァンギャルドがパリに上陸するのと同じように先鋭的であったはずです。もっと過激かもしれない。土台に対する攻撃です。

■私はジョン・ボイドの「何かをする事も、誰かになる事も出来る」という考え方が好きです。私が彼を知っている限りでは、オスティは間違いなく前者のカテゴリーに属しています。特に彼のプロセス、彼が考案し採用したツールやシステムを見ていると、彼が本当にやりたかった事は、実際に物を作るという作業に取り掛かる事だけだったように思えるのです。ミカエラと私は、90年代後半にスタジオ・オスティで働くという素晴らしい機会に恵まれました。
※ミカエラ・・・ACRONYM立ち上げ時のビジネスパートナー。二人はToronto Univ.在学中に出会いました ( ミカエラは同志社大学にも在籍していた事もあります )。
1シーズン中、何度もボローニャに足を運び、オスティ氏と彼のチームと一緒に仕事をしたのです。というのは大げさですが、あの広大なスタジオの中で、何時間も他の人と出会わない事もありましたよ。でも時々、オスティさんが作業している所に出くわす事もありました。
いつも一人。
いつも静かに集中している。
ハサミを片手にコピー機のそばで、文字通りプロトタイプを切り貼りしているのです。作りたい服の実物大のモックアップを繋ぎ合わせていく。既存の衣服やその一部を使って、彼の頭の中にあるどんな新しいハイブリッドも表現するのです。ラピッドプロトタイピングです。私たちは、このようなやり方で仕事をする人を見た事がありませんでしたし、それ以降も見た事がありません。この手法の特徴は、パーツのディテールや立体感が保たれている事です。継ぎ接ぎされたポケットは新しいジャケットの一部となりますが、そのステッチや金具、経年変化も同じように維持されます。それは2次元のドローイングとは比べものにならないんです。
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ブランド立ち上げこそ実現しませんでしたが、マッシモ・オスティは自身が行ってきた事を次世代に向けて再解釈して欲しいとエロルゾン・ヒューに依頼もしていたようです。エロルゾン・ヒュー以外にもクリストファー・レイバーンの他、実際にC.P. COMPANYとのアイテムを発表したアイター・スロープなど数多くのデザイナーに影響を与え続け、革新的なアイテムを数多リリースしてきたマニアックな表現方法は熱狂的なコレクターを世界中に生み出しています。

マッシモ・オスティは、2005年に他界しましたが、彼の遺産はマッシモ・オスティ・アーカイブを通して今日も生きています。ボローニャにあるマッシモ・オスティ・アーカイブには、5,000の製品と50,000を超えるファブリックサンプルを含むテキスタイル・アーカイブがあります。

" 形態は機能に従う " というバウハウスの基本理念に基付き、常に機能美のある製品を求めていたマッシモ・オスティの精神は、モレロ・フェラーリやロメオ・ジリ、アレッサンドロ・プンゲッティ、ポール・ハーヴェイ等の才能溢れる後継デザイナー、そしてファブリック開発の統括指揮を執るステファノ・ポラトらの存在によって、今も受け継がれています。

■2) C.P. COMPANYについて
1971年 : Chester Perry創設
1971年にグラフィックデザイナーであるマッシモ・オスティは、C.P. COMPANYの前身ブランドである「Chester Perry」を創設しました。ブランド名の由来は漫画家のフランク・ディケンズの作品に登場する主人公であるブリストウが働く工場の名です。

元グラフィックデザイナーという経験を活かしながら、Tシャツやジャケット、ショートパンツ等に柄をプリントする手法としてコピー機を多用し、当時はまだ珍しかったスクリーン印刷や4色工程を行う等、通常は紙のみに使用される印刷方法を服に取り入れました。同時にマッシモ・オスティは、ガーメントダイの技法の実験にも取り掛かっていきます。

※こちらのガーメントダイに関する貴重な画像は本国より特別にご提供頂いています。

1973年 : 世界初のウエアへのガーメントダイ
1973年に、世界で初めて様々な布地や繊維の種類を複数使用して仕上げたウエアへのガーメントダイ ( 後染め ) に成功します。従来との決定的違いは、ウエアを完全に仕立てた後に最終段階として染色が行われ成功した点です。従来は事前に染色を施した布地を使用して衣類を仕立てる方法でした。事前に染色が行われた布地には見られない色の深みや鮮やかさを実現すると共に、素材そのものの特徴を引き立たせる事が可能になりました。

なぜウエアへのガーメントダイをしたのか?

マッシモ・オスティの本来の目的は素朴なものでした。当時オスティは自身を何よりもグラフィックデザイナーとして自覚しており、自分の描いた絵をTシャツのデザインとして使用していました。

そしてある日、2つの単純な理由から絵をプリントした後にTシャツを染色しようと決めたのです。

まず1つ目の理由は、一色の布地のみを購入したとしても後から自分の好きなだけユニークな色で展開できるという事。
そして2つ目の理由は、色褪せた古着の上からもう一度染色を行うという国内の慣習 ( 最も古く基本的な「ガーメントダイ」の形 ) にヒントを得て、このような染色方法によりわずかに着古された印象を持つTシャツを完成させる事が可能な点に気付いたのです。

このような仕上がりの印象は、執事たちが靴やジャケットを着古し新品のものを身に着けていないように見せるという、英国の上流階級ならでは習慣を彼に思い起こさせるものでした。この考え方はオスティ氏自身の「エレガンス」の哲学に非常に近いものでもあったのです。布地の販売業者からは入手できない色や着古した印象を取り入れたTシャツを作り出せるという洞察を得た事に始まり、この技法を通して得られる仕上がりについて、より複雑な実験を重ねるようになりました。

間もなくして、化学者のジュリオ・バルボーニ氏を常勤として雇用し、社内に染色作業を行う為の施設を設けました。常勤で化学者を雇うというのは、アパレル企業としては前代未聞の出来事でした。バルボーニ氏、そして信頼のおける限られた業者と共にオスティ氏は、様々な種類の布地や繊維を使用した衣類を一度で染め上げるという、ガーメントダイの歴史において初となる染色技法の取り入れを開始しました。それは例えば、ナイロン、リネン、樹脂加工コットンを使用したジャケットを一度の染色作業で染め上げるということです。

それぞれの布地や繊維が一つの染色プロセスに対し異なる反応を示しました。一部の布地では収縮率が8%であったのに対し、他の布地では3%の収縮率が見られたのです。また、繊維が密集している布地は、緩く織られているものと比べてあまり染料を吸収しないという傾向も見られます。他にも、ポリウレタンには「しみ」のように表面のみに色が定着する事や、ナイロンがリネンに比べて茶色の染料をより深く吸収し、豊かな色合いに仕上がるという特徴も実験を重ねる中で明らかになりました。それまではガーメントダイの手法において、これほど複雑な側面は一切試された事がありませんでした。このような技法を習得する事でオスティは独自のテクニックの開発に成功しました。

1978年 : C.P. COMPANYへの改名
1978年に、マッシモ・オスティはブランド名をChester PerryからC.P. COMPANYへと改名しました。C.P. は、Color of Passionの略です。

1979年 : アーバンスタイルのDOWN JACKETのリリース
1979年、C.P. COMPANYはナイロン製のアルピニストダウンジャケットを一新させ、アーバンスタイルのジャケットをリリースしました。1970年代までの間、イタリアの都市では、ウールのオーバーコートが冬季のアウターの主流なアイテムでしたが、C.P. COMPANYがリリースしたアーバンなダウンジャケットはそれに代わる物となりました。
従来のダウンジャケットは常にナイロンを使用して作られていましたが、C.P. COMPANYは非常に軽量で柔らかいギャバジン生地を使用する事で、アーバンな要素を加えました。また、生地には防水加工を施していましたが、コットン独特の質感が保たれている特別な加工を施している点も特徴でした。

1981年 : 合繊繊維へのガーメントダイ
1981年に合繊繊維へのガーメントダイを初めて成功させます。
合成繊維と天然繊維の両方が使用されている衣類を同時に染めるという複雑な技術が、C.P. COMPANYの土台を築く要素の一つとなりました。

1982年 : モジュラージャケットのリリース
1982年の秋冬コレクションは、C.P. COMPANYの歴史の中でも重要なシーズンとなりました。かつてのオランダのバイク警官の制服をインスピレーションに、数々のモジュラージャケットを生み出します。
袖と襟は取り外しが可能で、オイルドキャンバス、レザー、スエード、サテン地など、様々な素材を鮮やかな色合いで組み合わせているのが特徴です。さらに内側のみに防水加工を施す事で、表側はコットン独特の自然な外見が保たれるという特別なポプリン生地の加工方法も含め、斬新なアイディアが集結されたアイテムはメディアの注目も集めました。

因みにC.P. COMPANYが使用するレザー素材は、カーフスキンはブラウン、ゴートスキンはグリーン、そしてシープスキンはレッドと決められています。レザーの種類によって、染色で最適な結果が得られる色が異なる為です。

1982年 : STONE ISLANDスタート
“スポーツウエアの頂点へ”、”メンズの為の最高のスポーツウエア” というコンセプトの元、STONE ISLANDブランドをスタートさせます。STONE ISLANDもC.P. COMPANYも創業者はマッシモ・オスティです。

1985年 : マッシモ・オスティがCP MAGAZINEのエディターに就任
CP MAGAZINEは非常に大きなフォーマットのカタログ・マガジンであり、C.P. COMPANYのコレクションの全てのガーメントの写真や、C.P. COMPANYのライフスタイルイメージを余す事なくヴィジュアル化したものでした。一つのコレクションにつき、40,000部の流通という変わった広告手法は実に効果的であり、多くの同業者が後に続き、業界の中でトレンドにもなりました。

1986年 : Rubber FlaxとRubber Woolという二つの素材を生み出し商標を獲得
1986年、C.P. COMPANYは通気性を保ちながら防水機能も備えたウール素材を作り出す方法を模索するべく研究を開始しました。
そして、何度も試行錯誤を重ねた結果、通気性のあるラバーコーティングの開発に至りました。実験の末、1987年にRubber FlaxとRubber Woolという二つの素材が誕生し、商標を獲得。伝統的なイギリスのスポーツウエアをインスピレーション源としながら、上質なウール素材に新たな技術的性能をもたらすものとして誕生。天然ゴムのコーティングを施す事で、スポーツウエアの分野における新たな用途も生まれました。ラバーコーティングにより糸の本来の性質が変質することを防ぐと同時に、通常は非常に繊細であるウール素材に雨などの外的要因への耐性を与える事で、使用するにつれて変形が生じる事も防ぐものでした。

1987年 : GOGGLEジャケットの原型であるEXPLORER JACKETをリリース
1987年にGOGGLE JACKETの原型であるEXPLORER JACKETをリリース。マッシモ・オスティはブランドがかつて展開していたウエアに、日本の民間防衛隊が着用していた保護帽子のスタイルを取り入れていました。前にジッパーが付き、目の高さの位置でファブリックにレンズが縫い付けられた目出し帽のバラクラバに似たものです。この頃からファブリックにレンズを縫い付けたジャケットを作り出す事への意欲は高まるばかりでした。
ガラスのレンズの周囲の部分でファブリックを完璧な状態で保つ事が課題となりましたが、スポーツオプティクスの分野において世界を率いるイタリアのBaruffaldi社が特別に開発したフレームを使用する事で、その問題も解決されました。初めに誕生したプロトタイプはサハリアンスタイルのフィールドジャケットで、長めに仕立てられた襟部分にレンズが縫い付けられたデザインが特徴的でした。これが、後にエクスプローラージャケットとして知られるようになったのです。

1988年 : GOGGLE JACKETをリリース
1988年に同ブランドのアイコンであるGOGGLE JACKETをリリース。
前年の1987年に襟部分にゴーグルを施したエクスプローラージャケットをいくつか製作し、翌年1988年にフードそのものにレンズを取り付けたGOGGLE JACKETを生み出します。この新しいアイディアのインスピレーション源は、軍隊が使用している保護帽子の研究を進めている中での対ガス用のグッズによるものでした。
GOGGLE JACKETには様々な用途に使用できるポケットが備えられ、スイス軍のフィールドジャケットに見られる様な多機能性が取り入れられています。また、腕時計が見やすい様に袖にもレンズが取り付けられています。

1988年に開催されたミッレミリアのカーレースのスポンサーを務める際に、C.P. COMPANYが使用したバージョンがこのGOGGLE JACKETでした。マッシモ・オスティが想い描く「どのような冒険にもぴったりなジャケット」のビジョンに最も当てはまるジャケットであった為です。雨や泥から身を守ってくれるだけでなく、優れたポケットのシステムにより身分証明書はもちろん、水筒やナイフ、そして食料や地図まで、あらゆる必需品を携帯できる機能を備えていました。

1991年 : C.P. COMPANY STOREオープン
C.P.COMPANY STOREが、ニューヨーク・マンハッタンのフラットアイアン・ビルディングにオープン。フラットアイアン・ビルディングは1902年に竣工し、現存するニューヨークのビルの中でも古い歴史を持ちます。高さ87mの22階建てで、完成当時はニューヨークで最も高い建築物の一つでした。ビルディングは、三角形の珍しい形で最も細い所では1メートル弱しかありません ( 設計はダニエル・バーナム ) 。建築様式も古く非常に高い人気を誇ります。この特徴的なビルはニューヨークの象徴の一つとなり、1966年にニューヨーク市指定歴史建造物に指定。1979年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録。1989年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されました。当時のC.P. COMPANY STOREの内観は、磨き上げられたガードレールが壁に配置されたデザインであり、スチール感のあるハイセンスなショップを作り上げました。

1998年 : ヘッドデザイナーにモレノ・フェラーリ就任
C.P. COMPANYのヘッドデザイナーにモレノ・フェラーリが就任しました。

1999年 : METROPOLISシリーズのリリース
オリジナルのミッレミリアGOGGLE JACKETのアイディアを元にMETROPOLIS JACKETを製作。舗装の有無を問わず、公道をヴィンテージのオープンカーで走るレーサー達を守るジャケットとして作られたGOGGLE JACKETが、現代的かつアーバンなスタイルで生まれ変わったアイテムです。
METROPOLISジャケットは、同ブランドのヘッドデザイナーであったMoreno Ferrari ( モレノ・フェラーリ ) が考案した " Urban Protection " シリーズからのリリースでした。Urban Protectionのコンセプトは、未来において起こり得るであろう公害や大気汚染から身を守る為のコレクション開発です。ジャケットにエアフィルター付きのマスクを装備したりポケット機能を充実させる等、生活する上でこのジャケットが一着あれば良いように考えられています。災害時に最も信頼できる電波状況を確保するトランシーバー専用のポケットも設計されています。

2005年 : 世界で初めてのGORE-TEXへのガーメントダイ成功
歴史上初めて、3層構造のGORE-TEXファブリックをガーメントダイによる染色に成功します。
GORE-TEX社が、C.P. COMPANYの為に特別に開発した3Lファブリックを使用したものでした。

2009年 : AITOR THROUPとの共作を製作
自身のPRELUDE ( プレリュード ) コレクションや、カサビアンのアートディレクションでも知られる奇才アイター・スロープを招き、共作GOGGLE JACKETを製作。
オリジナルのジャケットよりも、さらにドライブのコンセプトが盛り込まれたアイテムを作成する為に、GOGGLE JACKETのよりユニークなバージョンを生み出す事を目的にアイター・スロープを招聘しました。

ジャケット全体の構造やバランスが人間の運転する体勢に合わせてデザインされており、背中部分に余分なボリュームをもたせる事で運転時の快適さを最大化すると共に、通常の直立姿勢から複雑な運転の体勢へと移る際に、ジャケットの下部が体の動きに適合しながら形を変えるように設計しています。パッド入りの裏地は取り外しが可能で、手袋は寒さや雨から手を保護する役割を果たします。他にも、取り外し可能なポーチが道具を収納するケースとして使用出来るなど、様々な優れた機能性が備わっています。

2012年 : アレッサンドロ・プンゲッティ ( 左 ) とポール・ハーヴェイ ( 右 ) が新しいデザインチームに加入
2012年11月より、アレッサンドロ・プンゲッティとポール・ハーヴェイが新しいデザインチームに加入しました。
両名は新素材の開発に全力を注ぐだけでなくブランドを近代化する事を試みました。限界を打破するその姿勢はC.P. COMPANYにとって新たなフィロソフィーが生まれた瞬間でもありました。
以前よりC.P. COMPANYに在籍し活躍していたアレッサンドロ・プンゲッティに加え特にポール・ハーヴェイは、マッシモ・オスティと共にフェイバリットに挙げるデザイナーも多く、デザイン面等で影響を与え続けている人物です。
例えば、ポケット機能等の収納力を誇るアイテムは以前からありましたが、生地自体が機能を誇る、つまりテクニカルファブリックを用いながら、さらに元々のウエアデザイン自体も収納力を誇るといったハイブリッドアイテムの製作は、ポール・ハーヴェイがパイオニアとも言われています。

ポール・ハーヴェイはイギリスに生まれ、セントラル・セント・マーチンズを卒業した後すぐに、彼はファッションが自身のキャリア進路ではないと決め、1年間トラックドライバーとして働いていました。しかし、あるイタリア人の女性と出会い結婚しイタリアに移り住む事によって彼はファッションへの情熱を再び発見し、服をデザインし始める事になるのです。
ポール・ハーヴェイが最初にC.P. COMPANYを見たのは1980年。イタリアに着いたばかりの頃で、自身が働いていた職場の前にC.P. COMPANYを取り扱うショップがあったのです。重厚感のある青いキルティングのコットンジャケットシリーズ ( Royal Navy ) を、今でも印象的に記憶しているそうです。

経歴としては、ICI社 ( インペリアル・ケミカル・インダストリー ) を経て、サボタージュ、モンクレールでキャリアを積み重ねてきました。C.P. COMPANYの他にTEN Cやバラクータなども手掛けている人物です。ファッション業界でキャリアを重ねるポール・ハーヴェイにとってC.P. COMPANYの存在は、とても近しいものでした。Artea社のオーナーであり、C.P. COMPANYのファブリックのほぼ全てを生産していたAdriano Cacciaと非常に近い関係があったからです。

17年春夏のComponent Dyed、18年のRe-colour、19年のEclipse、そしてC.P. COMPANYが誇るガーメントダイの高度な技術を全て結集させ、独自に開発した新しいファブリックP.Ri.S.M.等の革新的シリーズを生み出しています。

2021年 : ブランド創設50周年
ブランド創設50周年を記念し、ブランドの歴史を追った記念ブック「C.P. COMPANY 971 - 021. An informal history of Italian sportswear」をリリース。その他、BARBOUR、PATTA等を始めとする4ブランドとコラボレーションアイテムをリリースしました。

C.P. COMPANYの22年春夏最新コレクションが入荷してきております。
ブランドページは下記URLよりご覧ください。
https://www.eliminator.co.jp/products/list.php?maker_id=15